低コレステロール血症と犬
低コレステロール血症の基礎知識と定義
犬の低コレステロール血症とは、血液中のコレステロール値が正常範囲より低下している状態を指します。通常、健康な犬のコレステロール値は約150~300mg/dLの範囲内にありますが、この値を下回る場合に低コレステロール血症と診断されます。
コレステロールは、多くの飼い主が人間の健康問題から「悪者」というイメージを持ちがちですが、実は動物の体にとって非常に重要な働きを担っています。コレステロールは細胞膜の構成成分となり、ホルモン(特にステロイドホルモン)の合成や胆汁酸の産生、ビタミンDの代謝など、多くの生理機能に関わっています。
犬の体内では、コレステロールは主に肝臓で合成されますが、食事からも摂取します。血液中では、コレステロールはリポタンパク質と結合した形で運ばれています。犬では、人間と異なり、HDL(高密度リポタンパク質)が優位であることが多いため、動脈硬化などのリスクは相対的に低いとされています。
しかし、コレステロール値が著しく低下すると、体の正常な機能維持が難しくなり、様々な症状や合併症を引き起こす可能性があります。特に重要なのは、低コレステロール血症自体が直接的な病気というより、多くの場合、他の重大な疾患の「サイン」や「結果」として現れるという点です。
コレステロールは体内で細胞膜を作ったり、ホルモンの原料になったりする重要な役割を担っているため、極端に低い値は体の基本的な機能に影響を与えることがあります。そのため、血液検査で低コレステロール血症が発見された場合は、その原因となる基礎疾患を特定することが重要です。
低コレステロール血症を引き起こす犬の疾患
犬の低コレステロール血症は、いくつかの深刻な疾患に関連していることが多く、その原因を特定することが治療の第一歩となります。主な原因疾患には以下のものがあります。
- 肝疾患:肝臓はコレステロール合成の主な場所であるため、重度の肝障害や肝不全は低コレステロール血症を引き起こす可能性があります。慢性肝炎、肝硬変、肝腫瘍などが該当します。
- 蛋白漏出性腸症(PLE):腸からタンパク質が漏出する病態で、コレステロールを含むリポタンパク質も失われます。特に以下の疾患が重要です。
- 腸リンパ管拡張症:リンパ管が拡張し、リンパ液(脂質やタンパク質を含む)が腸管に漏れ出す疾患です。ヨークシャーテリア、マルチーズなどの小型犬で好発します。血液検査では低タンパク、低アルブミン、低コレステロール、低カルシウム血症がよく見られます。
- 炎症性腸疾患(IBD):腸の慢性炎症によって栄養吸収が阻害され、コレステロールも含めた栄養素の吸収が低下します。
- 吸収不良症候群:腸の機能障害により、食事から摂取した栄養素(コレステロールを含む)が適切に吸収されない状態です。
- 悪液質(かくえき):がんなどの消耗性疾患による極度の栄養不良状態で、低コレステロール血症を伴うことがあります。
- 甲状腺機能亢進症:代謝が亢進し、コレステロール値が低下することがあります。
これらの疾患のうち、特に注目すべきは腸リンパ管拡張症と蛋白漏出性腸症です。これらの疾患は早期発見・早期治療が非常に重要であり、放置すると命に関わる合併症を引き起こす可能性があります。
また、特定の犬種では遺伝的要因により特定の疾患にかかりやすく、結果として低コレステロール血症を呈することがあります。例えば、ヨークシャーテリアやマルチーズは腸リンパ管拡張症のリスクが高く、柴犬やパグではリンパ腫の発症率が高いとされています。
低コレステロール血症の症状と診断方法
低コレステロール血症自体による直接的な症状は少なく、多くの場合は原因となる基礎疾患の症状が前面に現れます。しかし、体内の生理機能に影響を及ぼすため、以下のような症状が現れることがあります。
- 倦怠感や元気の低下
- 食欲不振
- 体重減少(体重が軽くなる)
- 下痢(特に腸疾患が原因の場合、泥状や水様便)
- 嘔吐
- 腹水(腹部に液体が貯まる)
- むくみ(浮腫)
- 被毛の艶の低下
興味深いことに、症状がまったく見られないケースも珍しくなく、健康診断や別の目的での血液検査で偶然発見されることもあります。しかし、症状がなくても、低コレステロール血症は潜在的な深刻な疾患のサインである可能性があるため、慎重な評価が必要です。
診断プロセスとしては、まず12~18時間の絶食後に血液検査を行い、コレステロール値を測定します。低コレステロール血症が確認された場合、原因を特定するために以下の検査が行われることがあります。
- 肝機能検査(ALT、ALP、ビリルビンなど)
- 血清タンパク質・アルブミン測定
- 電解質検査(特にカルシウム)
- 腹部超音波検査(肝臓や腸管の状態を評価)
- 内視鏡検査と生検(特に腸疾患が疑われる場合)
- 必要に応じて胆汁酸検査
特に腸リンパ管拡張症の診断には、超音波検査で腸粘膜に「白い粒々の構造」(Striation/ゼブラパターンやSpeckle/ホワイトスポット)が見られることが特徴的です。確定診断には内視鏡による生検が必要となることが多く、病理検査でリンパ管の拡張や炎症、場合によってはリンパ腫などの腫瘍性疾患が発見されることもあります。
獣医師は低コレステロール血症を単独で評価するのではなく、他の血液検査結果と合わせて総合的に判断します。特に低タンパク血症、低アルブミン血症、低カルシウム血症などが伴う場合は、蛋白漏出性腸症を強く疑います。
低コレステロール血症の犬に適した食事と管理
低コレステロール血症の治療は、原因となっている基礎疾患の治療が最優先となります。しかし、どの原因疾患であっても、適切な栄養管理は回復において非常に重要な役割を果たします。
原因疾患別の食事管理ポイントは以下の通りです。
- 腸リンパ管拡張症や蛋白漏出性腸症の場合。
- 従来は低脂肪食が推奨されてきましたが、最近の研究では脂質の種類が重要であることがわかってきています。
- 中鎖脂肪酸(MCT)は特殊なルートで吸収されるため、リンパ管を経由せずに体内に取り込まれます。MCTオイルの併用が有効な場合があります。
- 高消化性のタンパク源(白身魚、鶏肉など)を選びます。
- ビタミンEやビタミンAなどの脂溶性ビタミンの補充が必要な場合があります。
- 肝疾患が原因の場合。
- 肝臓に負担をかけない高品質なタンパク質を中程度含む食事
- 銅制限食(銅蓄積性肝疾患の場合)
- 適度な脂肪含有量(極端な制限は不要)
- 分岐鎖アミノ酸の補給を考慮
- 吸収不良症候群の場合。
- 高消化性食
- 食物繊維は控えめに
- 場合によっては加水分解タンパク質を含む食事
- 悪液質の場合。
- エネルギー密度の高い食事
- 適度な脂肪含有量
- 少量多回給餌
一般的な管理ポイント。
- 食事の変更は段階的に行いましょう。突然の食事変更は消化器症状を悪化させる可能性があります。
- 適切な体重維持を心がけます。極度の痩せも肥満も避けるべきです。
- 水分摂取量を確保します。脱水は症状を悪化させる可能性があります。
- 定期的な血液検査でコレステロール値やタンパク値をモニタリングします。
- 症状に合わせた投薬治療(ステロイド、免疫抑制剤、抗生物質など)を獣医師の指示に従って行います。
特に腸リンパ管拡張症や蛋白漏出性腸症の場合は、内科的治療が重要です。ステロイドや免疫抑制剤による治療が一般的ですが、最近ではウルソデオキシコール酸やオメガ3脂肪酸の投与も検討されています。症例によっては、ベザフィブラートなどの脂質代謝改善薬が使用されることもあります。
低コレステロール血症と高コレステロール血症の違い
犬の血中コレステロール異常には、低コレステロール血症と高コレステロール血症の2つがあります。これらは対照的な状態ですが、どちらも健康上の重要なサインとなり得ます。
以下に両者の違いをまとめます。
項目 | 低コレステロール血症 | 高コレステロール血症 |
---|---|---|
定義 | コレステロール値が基準値未満 | コレステロール値が基準値を超える |
主な原因疾患 | 肝疾患、蛋白漏出性腸症、吸収不良症候群、悪液質 | 甲状腺機能低下症、糖尿病、クッシング症候群、ネフローゼ症候群、遺伝性疾患 |
好発犬種 | 特定の小型犬(腸リンパ管拡張症の場合) | シェットランドシープドック、シュナウザー、シーズー、ドーベルマンピンシャー、ロットワイラー |
緊急性 | 多くの場合高い(命に関わる疾患のサイン) | 急性膵炎リスク増加を除き、緊急性は比較的低い |
治療アプローチ | 原因疾患の治療、栄養管理 | 低脂肪食、脂質降下薬 |
予後 | 原因疾患によるが、しばしば注意を要する | 多くの場合管理可能 |
特に犬の場合、高コレステロール血症は人間ほど動脈硬化のリスクをもたらさないとされています。これは犬の体内では、HDL(善玉コレステロール)の比率が高いためです。しかし、中性脂肪が著しく高い場合(500mg/dl以上)は急性膵炎のリスクが高まります。
一方、低コレステロール血症は多くの場合、生命を脅かす可能性のある重篤な疾患の指標となり得るため、発見した場合は速やかな原因究明が必要です。特に、低コレステロール血症に低タンパク血症、低アルブミン血症が伴う場合は、腸リンパ管拡張症や蛋白漏出性腸症などの深刻な病態が隠れている可能性があります[