パスツレラ症と犬について
パスツレラ症の原因と犬の口腔内細菌
パスツレラ症は、パスツレラ属菌(主に「パスツレラ・ムルトシダ」)という細菌によって引き起こされる感染症です。この細菌は健康な犬の口腔内に常在菌として存在しており、およそ75%の犬がこの菌を保有していると言われています。一方、猫ではほぼ100%の個体がこの菌を保有しているため、猫に比べると犬からの感染リスクはやや低いと言えるでしょう。
パスツレラ菌は犬の口腔内だけでなく、鼻腔内にも存在します。健康な犬ではこの菌が存在していても通常は何の症状も引き起こしません。これは、犬の免疫システムが正常に機能している限り、この常在菌との共存関係が保たれているためです。
犬の場合、このパスツレラ菌が問題を引き起こすのは、以下のような状況が発生した時です。
- 他の犬との喧嘩などで咬傷を負った場合
- 免疫力が低下している場合(高齢犬や基礎疾患を持つ犬)
- ストレスや環境変化で体調を崩している時
特に注目すべきは、パスツレラ症が「人獣共通感染症」(ズーノーシス)であるという点です。つまり、この病気は犬から人間にも感染する可能性があるのです。
犬のパスツレラ症の主な症状と特徴
犬のパスツレラ感染症は、多くの場合無症状で経過します。しかし、免疫力が低下したり、他の犬との喧嘩などで外傷を負ったりした場合には、様々な症状が現れることがあります。
犬で見られるパスツレラ症の主な症状には以下のものがあります。
重症化した場合には、以下のような深刻な症状に発展することもあります。
- 子宮膿腫
- 髄膜脳脊髄炎
- 心内膜炎
- 敗血症
特に咬傷による感染の場合、傷口周辺の皮膚が赤く腫れ、強い痛みを伴うことが特徴です。また、パスツレラ感染症は他の細菌感染症と症状が似ていることがあるため、正確な診断には細菌培養検査が必要となります。
犬のパスツレラ症の特徴として、症状の進行が比較的早いことが挙げられます。咬傷を負った後、数時間から48時間以内に症状が現れることが多いです。そのため、犬同士の喧嘩や咬傷の後は、傷口をよく観察し、異常が見られた場合は早めに獣医師の診察を受けることが重要です。
パスツレラ症の予防法と犬の健康管理
パスツレラ症は、適切な予防策を講じることで感染リスクを大幅に減らすことができます。犬のパスツレラ症予防には、以下のような方法が効果的です。
- 犬同士の喧嘩を防止する
- 社会化トレーニングを十分に行い、他の犬とのコミュニケーション能力を高める
- 攻撃性のある犬は去勢手術を検討する(特に雄犬)
- 犬同士を対面させる際は十分に注意し、必要に応じてリードやマズルを使用する
- 口腔内と爪のケア
- 定期的な歯磨きで口腔内を清潔に保つ
- 爪は定期的に切り、引っかき傷の原因となる鋭い部分をなくす
- 口臭が強くなったり、歯茎が赤くなったりした場合は獣医師に相談する
- 基礎疾患のコントロール
- 環境衛生の管理
- 犬の生活環境を清潔に保つ
- 食器や水入れは定期的に洗浄・消毒する
- 寝床やおもちゃも定期的に洗濯・清掃する
さらに、免疫力の維持・向上も重要な予防策です。栄養バランスの良い食事、適度な運動、ストレスの少ない環境づくりは、犬の全体的な健康状態を良好に保ち、感染症に対する抵抗力を高めます。
特に高齢犬や免疫力の低下した犬では、より慎重な健康管理が必要です。季節の変わり目や環境の変化があった際には、普段以上に犬の様子に注意を払いましょう。
犬のパスツレラ症の治療方法と抗生物質
犬がパスツレラ症に感染した場合、適切な治療を早期に開始することが重要です。治療が遅れると症状が悪化し、回復に時間がかかる可能性があります。
パスツレラ症の治療の基本は、以下の通りです。
- 抗生物質の投与
- ペニシリン系抗生物質(アモキシシリンなど)
- セフェム系抗生物質
- テトラサイクリン系抗生物質
- アモキシシリン・クラブラン酸合剤
これらの抗生物質は、パスツレラ菌に対して高い効果を示します。獣医師は症状の重症度に応じて、適切な種類と投与量、投与期間を決定します。理想的には、治療開始前に細菌培養同定・感受性試験を実施し、最も効果的な抗生物質を選択することが望ましいですが、急性の場合は経験的治療から開始することもあります。
- 創傷処置(咬傷がある場合)
- 傷口の洗浄・消毒
- 必要に応じて外科的切開と排膿
- 壊死組織の除去
- 場合によっては開放創として管理し、感染が治まった後に縫合
- 支持療法
- 疼痛管理(痛み止めの投与)
- 栄養サポート(食欲不振の場合)
- 水分補給の確保
- 安静の確保
治療期間は症状の重症度によって異なりますが、一般的には1〜3週間程度の抗生物質投与が必要です。重症例では入院治療が必要になる場合もあります。
治療中は、以下の点に注意することが大切です。
- 抗生物質は獣医師の指示通りに最後まで投与する
- 途中で症状が改善しても、自己判断で投薬を中止しない
- 症状が悪化した場合は速やかに獣医師に相談する
- 食事や水分摂取量、排泄状況など、全体的な状態を観察する
また、パスツレラ症に感染した犬を介護する際は、自身の感染防止にも注意が必要です。傷口に触れる際は手袋を着用し、処置後は必ず手洗いとうがいを行いましょう。
パスツレラ症と人間への感染リスク対策
パスツレラ症は人獣共通感染症であり、犬から人間に感染する可能性があります。人間への主な感染経路は以下の3つです。
- 創傷感染: 犬に噛まれたり引っかかれたりした傷口からの感染
- 気道感染: 細菌を含む飛沫の吸入による感染
- 接触不明感染: 動物との明確な接触歴が不明な感染
人間がパスツレラ症に感染すると、以下のような症状が現れることがあります。
- 皮膚症状: 傷口の発赤、腫脹、強い痛み、化膿
- 呼吸器症状: 鼻汁、肺炎、副鼻腔炎、気管支炎
- 全身症状: 発熱、倦怠感
- 重症例: 関節炎、髄膜炎、敗血症
特に注意が必要なのは、免疫力が低下している人(高齢者、糖尿病患者、ステロイド剤や免疫抑制剤を使用している人、肝疾患患者など)です。これらの方々は感染しやすく、また感染した場合に重症化するリスクが高いとされています。
人間への感染を防ぐための対策としては、以下のことが推奨されます。
- 適切な距離を保つ
- 犬に顔を舐めさせない
- キスや口移しをしない
- 犬を寝室に入れない、一緒に寝ない
- 衛生管理の徹底
- 犬に触った後は必ず手洗い・うがいをする
- 犬に舐められた部分はすぐに洗う
- 食器や箸を共有しない
- 咬傷・引っかき傷への対応
- 傷を負った場合はすぐに石鹸で十分に洗浄し、消毒する
- 傷口に腫れや痛みが生じた場合は早めに医療機関を受診する
- 受診時には動物との接触歴を医師に伝える
- 犬の健康管理
- 定期的な健康診断を受けさせる
- 攻撃性のある犬は適切なトレーニングを行う
- 口腔内や爪を清潔に保つ
2020年以降、新型コロナウイルス感染症の流行とともにパスツレラ症の報告数も増加傾向にあるという研究結果もあります。これは、パンデミック期間中のペットとの接触増加や、免疫力の変化などが影響している可能性があります。
特に小さな子供がいる家庭や、高齢者、基礎疾患を持つ方がいる家庭では、ペットとの適切な距離感を保つことが重要です。愛情表現としてのキスや抱擁は、別の方法(撫でる、話しかけるなど)に代替することで、感染リスクを減らしながらも良好な関係を築くことができます。
パスツレラ症は適切な予防と早期治療により、多くの場合良好な経過をたどります。日常生活の中で少し注意するだけで、愛犬との健康的な共生が可能になるのです。