脳炎症状と治療方法
脳炎症状の見分け方とチェックポイント
犬の脳炎は脳の実質や脳を包む髄膜に炎症が起こった状態で、生命に関わる重篤な疾患です。脳炎の症状は脳の障害部位によって多様な形で現れるため、飼い主による早期発見が極めて重要となります。
最も頻繁に見られる症状は、けいれんや硬直、失神などを引き起こす急性発作で、脳炎症例の51%で認められると報告されています。これらの発作は一時的な症状ですが、繰り返し起こることが多く、重積発作に発展すると多臓器不全を引き起こし、生命に危険が及びます。
神経症状として以下のような異常行動が観察されます。
- 歩行異常: ふらつき、歩行困難、足の麻痺
- 行動異常: 旋回運動、斜頸(首をかしげる)、回転運動
- 視覚・聴覚障害: 失明、聴覚の低下
- 意識レベルの変化: 反応の鈍化、昏睡状態
- 性格の変化: 攻撃性の増加、異常な臆病さ
全身症状では、食欲不振、元気低下、発熱が見られることがあります。特に感染性脳炎では発熱が顕著に現れる傾向があります。進行した症例では嚥下困難により食事や水分摂取が困難になり、最終的には重積発作や誤嚥により死亡するケースも少なくありません。
飼い主が注意すべきは、これらの症状が単独ではなく、複数同時に現れることが多い点です。特に初期症状として発作のみが見られる場合でも、脳炎の可能性を除外できないため、発作の治療効果が乏しい場合は必ず精密検査を受けることが重要です。
脳炎原因と好発犬種の特徴
犬の脳炎は原因により感染性脳炎と非感染性脳炎に大別されます。現在では予防接種の普及により感染性脳炎は減少し、非感染性脳炎が圧倒的多数を占めています。
非感染性脳炎の主要な種類
- 肉芽腫性髄膜脳脊髄炎(GME): 脳に肉芽腫を形成するタイプで、若齢の小型犬に好発します。自己免疫機序が関与していると考えられており、チワワやトイプードルで多く見られます。
- 壊死性髄膜脳炎(NME): パグ脳炎とも呼ばれ、パグ、シーズー、ペキニーズ、チワワ、ポメラニアン、パピヨンなどで好発します。発症年齢の中央値は2歳で、小型の雌に多い傾向があります。
- 壊死性白質脳炎(NLE): ヨークシャーテリア、チワワ、パピヨンでよく見られ、2~6歳の小型犬に好発します。生涯にわたる治療が必要になることが多い疾患です。
感染性脳炎の原因
感染性脳炎の代表的な原因として、ジステンパーウイルス、トキソプラズマ(原虫)、クリプトコッカス(真菌)、各種細菌が挙げられます。特にワクチン未接種の子犬では、ジステンパー脳炎のリスクが高くなります。
興味深い研究結果として、パグ犬における家系調査では、脳脊髄液中のグリア線維性酸性蛋白質(GFAP)や抗GFAP自己抗体をマーカーとした保因犬の割り出しにより、NMEの発症因子は常染色体劣勢遺伝形式で遺伝する可能性が示されています。これは特定犬種での脳炎発症に遺伝的素因が関与していることを示唆する重要な発見です。
脳炎診断方法とMRI検査の重要性
脳炎の確定診断には、神経学的検査から始まり、最終的にはMRI検査と脳脊髄液検査が必要となります。近年、獣医療にMRIが導入されたことにより、脳炎の発見数が飛躍的に増加しており、早期診断の精度が大幅に向上しています。
診断プロセス
- 神経学的検査: 刺激に対する反応、運動能力、反射などの神経系機能を評価
- 血液検査: 炎症マーカーや内臓機能、感染症の有無を確認
- 画像検査: レントゲン、超音波検査で他の疾患を除外
- MRI検査: 脳の形態や炎症部位の詳細な観察が可能
- 脳脊髄液検査: 炎症細胞の種類や蛋白質の定量により確定診断
MRI検査では、初期病変が大脳の髄膜直下や皮髄境界の灰白質側に現れる特徴的な画像所見を確認できます。パグのNMEでは、大脳皮質の軟化が激しく現れ、進行すると大脳基底核や視床の病変も認められるようになります。
脳脊髄液検査では、特にパグ脳炎を疑う場合、GFAP(グリア線維性酸性蛋白質)の測定が有用とされています。NME症例では脳脊髄液中にGFAP-抗GFAP複合体が特異的に存在し、抗GFAP抗体にはIgGのみでなくIgAも存在することが明らかになっています。
これらの検査には全身麻酔が必要となるため、犬の状態を十分に評価した上で実施されます。検査設備を持たない動物病院では、提携施設への紹介により検査が行われることが一般的です。
脳炎治療方法とステロイド療法
犬の脳炎治療は原因により大きく異なりますが、多くの症例で長期間の治療が必要となります。治療の主目的は、神経症状の軽減と生活の質(QOL)の維持です。
感染性脳炎の治療
感染原因が特定された場合、病原体に対応した特異的治療が行われます。
- 細菌性: 4~6週間の抗菌薬投与
- 真菌性: 3~6か月間の抗真菌薬投与
- 原虫性: 抗原虫薬による治療
炎症の悪化から合併症を予防するため、これらの治療と併用してコルチコステロイドの投与が推奨されています。
非感染性脳炎の免疫抑制療法
非感染性脳炎では、プレドニゾロンを中心とした免疫抑制療法が標準治療となります。初期治療として免疫抑制量(2~4mg/kg/day)のプレドニゾロンが開始され、多くの症例で生涯にわたる治療が必要です。
併用療法と新しい治療法
- 抗てんかん薬: 発作歴がない場合でもフェノバルビタールやゾニサミドなどの予防的投与が行われます
- 免疫抑制剤: シクロスポリンなどがステロイド剤と併用され、長期管理に適しています
- 抗がん剤治療: シトシンアラビノシド50mg/kgを12時間ごとに4回、3週ごとに実施する治療法も検討されています
- 脳浮腫対策: 脳浮腫が強い場合にはマンニトールの点滴が実施されます
ステロイド治療の効果は個体差が大きく、治療反応が良好な場合は数年間の生存が期待できますが、反応が悪い場合は2か月程度で死亡する可能性もあります。壊死性脳炎は肉芽腫性脳炎と比較して進行が早く、より厳しい予後となる傾向があります。
脳炎予後と日常生活での注意点
犬の脳炎は完治が困難な疾患であり、予後は症例により大きく異なります。パグのNMEでは生存期間の中央値が93日で、数か月から3年の幅があると報告されています。壊死性髄膜脳炎では治療反応性が不良のため短期で死亡する例も存在しますが、治療が奏効した場合は数年間の生存が見込めます。
予後に影響する要因
- 脳炎の種類: 壊死性脳炎>肉芽腫性脳炎の順で予後不良
- 診断時の病期: 早期発見・早期治療ほど良好な予後
- 治療反応性: 初期治療への反応が予後を大きく左右
- 犬種: パグでは特に厳しい予後となる傾向
日常生活での管理ポイント
脳炎と診断された犬の日常管理では、以下の点に特別な注意が必要です。
- 発作対策: 発作時の安全確保と記録、抗てんかん薬の確実な投与
- 運動制限: 視覚障害や運動失調に配慮した環境整備
- 栄養管理: 嚥下困難がある場合の食事介助や栄養補給
- 定期的な経過観察: 症状の変化を獣医師と密に連携して管理
飼い主ができるサポート
脳炎が発症した犬にとって、飼い主とのコミュニケーションや日常的なケアは何よりも重要です。短い余命であろうとも、愛情を注ぐことで犬の生活の質を少しでも向上させることができます。対症療法による痛みや発作の軽減、点滴による栄養・水分補給などの医療的ケアと並行して、家族としての温かい関わりが犬にとってかけがえのない支えとなります。
また、一部の脳炎では治療により症状が治まる寛解状態になる可能性もあるため、諦めることなく獣医師と連携した治療継続が重要です。早期発見と適切な治療により、できる限り長期間の良好な生活を送ることができる症例も存在します。
科学研究費補助金による犬の壊死性髄膜脳炎の遺伝研究